ロンドン五輪は最多のメダル数獲得という最高の結果で幕を下ろしました。
五輪のメダル数を見ると、ある程度その国がどの競技に強みを持っているかがわかります。
そこで過去に日本が獲得したメダル数から、「お家芸」の変遷を追ってみたいと思います。
表の凡例」青は男子競技、赤は女子競技、灰色は不採用、緑は公開競技
戦前
まずは初めて参加した100年前のストックホルムから第二次世界大戦前のベルリンまで。
アントワープで初のメダルはテニスでの銀メダル。
このころは陸上、競泳でのメダル獲得がほとんど。特に競泳の強さが際立っています。
戦後~モスクワ前
次に戦後を見てみましょう。ロンドン五輪が敗戦国ということで参加が認められなかったので、
1952年(昭和27年)のヘルシンキから日本は五輪に復帰します。
やはり戦後間もなくは人材も物資も何もかもが乏しい状態で、
いきなり戦前のようなメダルラッシュは難しかったようです。
しかしメルボルン五輪から陸上や競泳に変わり、後に「体操ニッポン」と呼ばれるようになる
お家芸・体操競技でメダルを量産し始めます。
特にメキシコ~モントリオールの3大会で、個人団体合わせて金15、銀10、銅13は圧巻です。
また、レスリングも東京五輪のころより強さを見せ、体操と並ぶお家芸と称されるようになります。
そして、東京五輪からいよいよ柔道が競技に採用され、こちらも「本家」として
ほとんどの階級でメダルを獲得する強さを発揮します。
これまで個人競技中心だったメダル獲得も、バレーボールやサッカーなど
団体競技でのメダル獲得が出始めたのもこのころです。
モスクワ後~ロンドンでの最多メダル獲得まで
モスクワ五輪の参加ボイコットをはさみ、ロサンゼルス五輪では西側のボイコットを受けて
受動を中心に多くのメダルを獲得します。
ほとんどの競技で女子の参加が認められてきたのもこの時期です。
しかし、ソウルからアトランタまで、柔道以外の競技ではメダル獲得が難しく、厳しい時代に突入します。お家芸の体操もバルセロナのメダル(池谷選手ら)の後はメダルなしの大会が続きました。
明るい兆しが見え始めたのは2004年のアテネ五輪で北島選手を筆頭にした競泳陣の健闘などでロンドンに次ぐ37個のメダルを獲得します。
また、競泳以外でも、陸上(マラソン)、女子柔道、女子レスリング、ソフトボールなどでメダルを獲得し、女子競技のメダル獲得が非常に多くなってきました。
そして今回のロンドン五輪。
メダルの獲得数も最多の38個になりましたが、獲得した「競技数」でも17競技と
アテネの15競技を上回る形となっています。
(野球・ソフトボールが競技から外れてしまったのが残念です)
こうしてメダル数を俯瞰してみると、時代時代でどの競技が強かったかなどが一目でわかって、興味深いですね。