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オリンピックこぼれ話

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いよいよロンドンオリンピックも佳境に入ってきました。
オリンピックに関するエピソードやこぼれ話というのは、有名なものから知られざるものまで様々ありますが、その中からいくつかご紹介してみたいと思います。

最初は「銀」

近代オリンピック第一回のアテネオリンピック(1896)では、
優勝者に銀メダル、2位の選手に銅メダル、3位は賞状だったそうです。

幻の最年少金メダリスト

第二回のパリオリンピック(1900)から金メダルが授与されるようになりましたが
ボートの種目でオランダチームの舵手が体重が重すぎるということで、
観客席にいたフランス人(※)の少年が飛び入りで参加し、なんと優勝。
この少年は7~10歳くらいだったということですが、
競技終了後どこかに行ってしまい年齢はおろか名前もわからずじまい。
推定ですが史上最年少の金メダリストと言われています。

(※)当時は国単位ではなく個人単位での参加だったので、
国籍が混成でも競技の参加が認められていました。

日本人初メダル

日本人選手で初のメダルはアントワープオリンピック(1920)で
テニスのダブルスで熊谷一弥・柏尾誠一郎両選手が獲得した銀メダルが最初です。
熊谷選手は当時軟式テニス全盛の日本テニス界で
初めて硬式テニスに転向した選手の一人だったそうです。

そして日本人初の金メダルはアムステルダムオリンピック(1928)で
織田幹雄選手(三段跳び)が獲得しました。

国立霞ヶ丘競技場の第一ゲート付近にこれを記念した通称「織田ポール」が立てられています。
(ポールの高さは優勝記録と同じ長さの15m21cm)
織田ポール
写真出典:ウイキメディア・コモンズ

そして日本人初の銅メダルはパリオリンピック(1924)で内藤克俊選手(レスリング)が
獲得しています。レスリングも初期からメダルを取ってたんですね。

現地予選

ベルリンオリンピック(1936)の男子マラソン代表選考は
ギリギリまでもつれにもつれて、最後まで代表枠の3人に絞り込めず
なんと最終候補の4名をドイツに連れて行き、直前に現地の本番コースで
現地予選を行って3名に絞り込みました。

その現地予選で体調を崩していた鈴木房重選手が残念ながら選に漏れ
10000mの出場に回ったそうです。

現在も選手選考がギリギリもつれることはよくありますが、
さすがに候補者同士でレースをして決めるということはありませんね。

芸術はスポーツ?

初期のオリンピックでは「芸術競技」というのがあり
スポーツを題材とした絵画作品作品で優劣を競うというものでした。
近代オリンピック提唱者のクーベルタン男爵も
この芸術競技で金メダルを取り、オリンピックメダリストに名を連ねているのです。

ベルリンオリンピックでは二人の日本人選手(?)が
絵画部門とデッサン部門で銅メダルに輝いています。

さすがに今は競技としては無くなってしまいましたが
オリンピック憲章には文化プログラムとして芸術展示を行うことが
定められており、開催地で展覧会などが行われるようになっています。

馬名の由来は?

競馬の競走馬の馬名では変わった名前や珍名はよく見かけますが、
馬術の馬の名前はそんなに変な名前は見かけません。

モントリオールオリンピック(1976)に出場した
馬術の石黒建吉選手の愛馬の名前は「アソーデスカ」
これは「あ、そうですか」から取ったんですかね・・・。

今でこそ世界トップクラスのアスリートがしのぎを削るオリンピックですが、
初期のころは運営もおおらかで、様々なエピソードが生まれやすかったようです。

 


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