あれから3年。
あの日の翌週、 僕は2ヶ月後に控えていた結婚式の段取りを親戚と打ち合わせるために、
陸前高田の妻の実家に行く予定でした。
この日の朝も、「この週末に、お義父さんへのお土産、買いに行かないとなぁ」といったような会話を
交わしたように記憶しています。
震災直後、陸前高田の情報は極端に少ない状況でした。
ようやく翌日に入ってきたのはは「ほぼ壊滅」という言葉だけ。
総務省消防庁は同日、地震に伴う津波で陸前高田市は「ほぼ壊滅状態」と発表(日本経済新聞)
陸前高田の津波の様子が映像で出た。町ごと押し流されている。妻が生まれそだった町が壊れていくのを見て呆然としているのを、一緒に皆の無事を祈るしかできない。無力感。
— タナカタケル (@Takeru_Tanaka) March 11, 2011
僕はこのとき、妻にかける言葉が何も見つかりませんでした。
今でも、あの時なんと言えば良かったかなんて正直分からんです。
家族の安否を探す傍ら、何かできないかと、情報をまとめるページを立ち上げましたが、
安否の手がかりを探している方からの問い合せがあまりに多く、
改めて震災の甚大さ、深刻さをただただ思い知らされました。
その後、被災地から東京へ戻ってきたとき、
震災以前となんら変わらない「日常」とのギャップに、あれだけ甚大な震災でも
ほどなく忘れられてしまうんじゃないか、と正直思いました。
それから3年。
今もたくさんの方が「忘れない」と声を上げ、支援をしてくれています。
でも、まだまだ先長いです。終わらないかもしれません。
過去を忘れず、過去にとらわれず、一歩一歩できることを。淡々と。